今日気になってついクリックをして読んだネット記事がひとつあり、
その記事のタイトルは、
「4年間「不登校ゼロ」!校長が大切にした4つのポイントや実践に学ぶ「安心して通える学校づくり」
おお、気になる。
その校長先生が言っていた一言が、わたしにパンチがあり、
”生徒指導のカギになるのは、子どもが『指導されている』ではなく『励まされている』と感じられるような関わりが大切だと思います。”
うん、なるほど。
もう、なんと言うか、耳が痛いなあ。
昨日も、今日も、思い当たることが多すぎる。
この校長先生は、養護学校からキャリアをスタートされ、特別支援教室の担任などを経て、
現在、埼玉県熊谷市の校長先生、現行の「特別支援学校要領・学習指導要領解説 自立活動編」の編集協力もされている先生で、
教育現場における、待つことの必要性、大人のバイアスを取り除いて科学的、客観的、多角的な視点で共感的に子どもを見ていく。子どもの変容を左右するのは私たち教員の理解や指導。
と言っていて、
全てうんうん、とすごく納得、賛成!
でも、これを実現するのが難しいことも毎日感じるなあと、自分の育児を振り返っていました。
自分の育児とか言っている時点で、ああ、また大人のバイアスで動いているなと感じたりして。
最近、子どもの教育に一生懸命になるあまり、自分が指導員のような姿勢で子どもたちに接しているな、
これはまずいなと思うことがかなり多くて、
それは、子どもたちの自我がますます強くなって、自分で考えて反論してきたりもする毎日だからこそなのですが、
わたしは子どもたちの持論に対して、つい、大人のバイアスで判断して、文字通り”指導”しているなと思うのです。
でも、自分で考える子になってほしい、自分で自分の幸せを探して掴んでいってほしいと思って育てているわたしの育児は、『指導』の先にはないのだろうな、
思い描くことと、毎日できていることのギャプが大きいなあと思い返しています。
この辺りで、軌道修正しなくちゃな。
小事が大事を生む。
大きく後悔をする前に、変わらなきゃ。
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